お客様インタビュー(近藤 千雅 先生)
地下鉄今里駅を上がって徒歩1分という良好な立地での開業
大阪市東成区今里。隣は焼肉の聖地として全国的に有名な鶴橋がある、極めて庶民的な町。こんどう耳鼻咽喉科クリニックがある今里クリニックモールは、1階がスーパー、2階がクリニックモール、3~5階がフィットネスクラブという商業施設。地下鉄今里駅を上がって徒歩1分という良好な立地である。
人生の転機は突然に
- すばらしい施設ですね。このモールは近藤先生ご自身で探されたんですか。
- 近藤 いいえ。私の大先輩からの紹介でした。実は、私の実家もすぐ近くで、それを知っていた先輩が良い物件があるよと。
- じゃあ、既にその時には開業は意識されていた。
- 近藤 まったく(笑)。大先輩からの紹介だったんで、無碍にもできないし、まあ近いから覗いてみようかという軽い気持ちで見学にきました。他の診療科の内覧会の時だったんですが、良いところだなと思いましたね。モールをプロデュースした医業総研の方から色んな話を聞いて、なるほど開業するんだったらこんなところも良いかなと。
- じゃあ、即決ですか!?
- 近藤 まあ、それに近いでしょうか。見学が終わって、家内と両親に今里にこんなところがあるけど。開業するんだったら良いかもしれないな、と話をしたら、「近いからみんなで見に行こ」と。両親、家族総出で再度、見学したところ、みんな口をそろえて「えーやん!」(笑)。
- ご自身も開業を意識されていなかったのに、ご家族もよく納得されましたね。
- 近藤 そうですね。開業したのが昨年、勤務医となって14年目ですか。まだ10年くらいは勤務医として頑張ろうかなと漠然な思いでいました。家族もそうだったと思います。でも、いつかは開業するんだろうというのと、いくつで開業すれば、借り入れの返済も含め、その後の人生をうまく設計できるかという、逆算で考えなきゃいけないというのはありました。でも、人生の転機が突然目の前に訪れた。
「自分の人生、後悔ないよう」
- ところで、医師を目指したきっかけは何だったんでしょう。
- 近藤 入院でした。高校2年までは工学部志望でしたが、事故で入院、頭部を10針程度縫うという経験をしたんです。そのときの脳神経外科の担当の先生がすばらしい方で、医師という進路も良いなと思って、急遽、志望を医学部に変更しました。
- ご両親はびっくりされた。
- 近藤 いいえ。今回の開業の時もそうですが、両親はいつも僕が決断したことに対しては尊重してくれます。進路変更の時も、開業の時も、話を聞いてくれて「自分の人生なんだから、好きなようにし、後悔せんように」と言ってくれました。
考えすぎると足がすくむ
- 医業捻研との出会いは見学の時ということですが。
- 近藤 そうですね。そもそもこのモールを紹介していただいた先輩が、医業総研との係わり があってということでした。
- 印象はいかがでした。
- 近藤 実は、私はコンサルタントという方々に対する忌避感が根強くあって、先輩の紹介とはいえ、やはり警戒していたと思います、最初は。でも、担当の柳さんと色々と話をしていくうちに、ここはちょっと違うなと感じました。まず、上手ばかり言わなかった。厳しい話、メリットと同時にデメリットの話をキチンとしてくれましたから。
- とは言え、見学から開業の意思決定までほとんど時間がなかったでしょう。不安はありませんでしたか。
- 近藤 ないと言えば嘘。なにしろ即決しなきゃいけない状況(笑)。考える暇もなかった。でも、それが良かったと思います。検討する時間をとって、開業の下準備を細かくしようと考えていたら、こんな良い立地で体力も気力も十分な状況での開業はできなかったと思います。
- 奥様が良く納得されました。生活の安定を失う可能性だってあったのに。
- 近藤 そうですね。家内が看護師ということがあったかもしれません。私のことを良く理解してくれている。今は、家庭に入っていますが、立ち上がり半年くらいまで、 一緒に頑張ってくれてました。診療に打ち込んで入れるのは家庭が安定しているからだと感謝しています。
- これから開業を考える後輩にアドバイスすることは。
- 近藤 考えすぎるなということでしょうか。「人間万事塞翁が馬」といってはいけないのかもしれませんが、私自身の開業経験が、そうだといっています。色々考えすぎると足がすくんで動けなくなる。それと大事なことは経営の安定、それを担保する良い立地に恵まれるということです。開業して自分がやりたい医療を、と思っても、経営が安定していないとどうしようもない。志は高く持ち、経営にも心を砕く。これが開業医として大事なことだと感じています。